磨けば輝く——オーバーホールで気づいた“モノの価値”とリアディレイラーの美しさ

「えっ、これ…俺のパーツ?」
そんな驚きのひと言から始まったのは、とっくり氏のリアディレイラー(RD-5500)をオーバーホールしたときの話。
今回は、“使い込んだパーツを磨き直すことで見えてくる価値”と、
“乗っている本人には見えない美しさ”に気づいた記録です。
自転車に乗っていると、パーツの状態って意外と自分では見えないもの。
特にリアディレイラーなんて、後ろを走る人にしか見えない“背中の顔”のような存在です。
でも、いざ外して磨いてみると、そこには“Made in Japan時代のシマノ”が誇る造形美が。
「これ、まだまだ現役やん」「むしろ今のよりカッコいいかも」と、
パーツの価値を再発見する瞬間がありました。
🧼 この記事でわかること
- オーバーホールで気づいた“パーツの美しさ”と“価値の再評価”
- RD-5500(105)の造形と“ラチェット音”の魅力
- 自分では見えないパーツこそ、後ろからの視線が大事
- メンテナンスがくれる“安心感”と“愛着”
- 「モノを大事にするって、こういうことかも」と思えた話
ものの価値
自己評価の話ではなくて、先日の記事にとっくり氏の自転車の部品をアップしたら、当の本人から言われたことです。
オーバーホール後
「オーバーホールして磨いてくれているからというのもあるけど、俺のパーツはあんなに綺麗だったんだね」
『え〜!マジっすか!』という状態です。
自分では見えないパーツ
自転車を始めて一緒にポタリングへ行くようになってからは、ほぼ後ろを付いていっていたので、とっくり氏のリアディレイラを見てきました。
RD-5500
この時代のシマノのディレイラは美しいなと思っていました。
乗っている本人は、自転車を降りた時にしか部品を見ることがなくなるから、買ってしまえば多少のこだわりは減るのかもしれませんが、後ろから付いていく人間からすると、全体シルエットの見た目とパーツの美しさ、リアハブのラチット音は結構重要だったりします。
メンテナンス大事
ちゃんと磨いて取り付けておきますです。
“見えないところ”にこそ宿る価値——オーバーホールがくれた気づき
磨いたら“新品以上”に見える不思議
RD-5500は、現行モデルにはない曲線と質感が魅力。
「こんなに綺麗だったんや…」と持ち主が驚くほど、
磨くだけでパーツの印象はガラッと変わります。
後ろを走る人にしか見えない“リアビューの美学”
筆者はいつもとっくり氏の後ろを走っていたからこそ、
リアディレイラーの存在感やラチェット音の心地よさに気づいていた。
「乗ってる本人より、後ろの人の方がパーツを見てる」って、ちょっと面白いですよね。
メンテナンスは“愛着を深める儀式”かもしれない
ただの清掃作業じゃなくて、「このパーツ、まだまだ使えるな」と思える瞬間がある。
それが、モノの価値を見直すタイミングなのかもしれません。
やはり普段見慣れている人からすれば良さも半減するのかもしれないですね。
私もメンテあまりしない方なのでたまにめちゃやるととてもきれいになって自分で驚いています。
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今の105は結構プラスティックが使われていますからねえ。
やはり金属製は美しい。
> tac-phen様
買うまでは、細部までとてもこだわるのに、買ってしまうと少し飽きるのかもしれませんね。
乗車後の掃除も大切ではないかと、最近は思います。
> moumou様
現行は、現行の良さがあると思います。
古いものは、もう作らないだろうという位に効率が悪いからこそ、美しさがあると思います。