[兵庫県たつの市]商売繁盛?金運アップ?祝田神社に参拝

兵庫県たつの市の神社
投稿者の地元ネタです
お金にまつわる神社へ参拝!実家の商売繁盛を願って
地元へ帰省した際、父の車で出かける前に 農協へ書類を提出するついでに、お金にまつわる神社へ寄ってもらいました。
田んぼの中に佇む「祝田神社」
訪れたのは、 田んぼの中にぽつんと建つ「祝田神社(はふりたじんじゃ)」。
長年通っている母でさえ、「『はふりた』って読むの!?」と驚くほど、読み方が知られていませんでした。
しかし、ご利益はしっかり受けていたので、 名前の読み方よりも大切なのは、そのご利益 なのかもしれません。
「お金が貯まる」ではなく「集金がうまくいく」神社
父の話では、この神社は 「お金が貯まる神社」 ではなく、「集金がスムーズにいく神社」 なのだとか。
参拝した後に集金へ行くと、お金をきちんと回収できるという 商売繁盛の縁起の良い場所 なのです。
実家が商売をしていることもあり、これはとても重要なご利益。
私たちもしっかりとお参りを済ませました。
小さくても由緒ある神社
境内には、しっかりと 鳥居が並び、寄贈者の名前を見ると 地元で有名な会社や商人 たちが名を連ねています。
さらに、すぐ隣には 八幡神社の分社 も。
神社の看板こそ少し傾いていましたが(笑)、ご利益に変わりはありません。
これからも 商売繁盛と金運アップを願って、大切に参拝したい神社 です。
祝田神社
社号 | 祝田神社 |
読み | はふりた |
鎮座地 | 679-4005 兵庫県たつの市揖西町清水302 |
旧国郡 | 播磨国揖西郡清水村 |
主祭神 | 石龍比古命(イハタツヒコノミコト) |
配祀神 | 石龍比賣命(イハタツヒメノミコト) |
兵庫県たつの市揖西町清水に鎮座する祝田神社
兵庫県たつの市揖西町清水にある祝田神社は、姫路市林田町上構にある同名の「祝田神社」とともに、式内社「祝田神社」の論社とされています。
『播磨国風土記』に記された由来
『播磨国風土記』の揖保郡の記述にある「出水里」は、この地域にあたるとされており、次のような由来が記されています。
(大意)
「出水(イヅミ)里」は、湧水があることからその名がつけられた。
この地には「美奈志(ミナシ)川」があり、次のような伝承が残されている。
伊和大神の子である石龍彦命(いわたつひこのみこと)とその妹・石龍姫命(いわたつひめのみこと)は、川の水の流れを巡って争っていた。
- 兄・石龍彦命 は、川の水を北の越部村へ流そうと考えた。
- 妹・石龍姫命 は、川を南の泉村へ流そうと考えた。
兄神は山の峰を踏み割って水を流したが、それを見た妹神は対抗して櫛を挿し、水の流れを止めた上で、別の溝を開いて泉村へ流した。
しかし兄神も負けずに、水の流れを西の桑原村へ向かわせた。
妹神はさらに密樋(地下水路)を作り、泉村の田へと水を引き込んだ。こうして水の流れが複雑になり、やがて「無水(ミナシ)川」と呼ばれるようになった。
この「美奈志川(無水川)」は、現在の中垣内川にあたるとされています。
地形との関連
『角川地名大辞典』によると、この伝承は中垣内川の自然環境をよく反映しているとされます。
- 中垣内川は「井関三神社」奥宮の北方の峰で、河川争奪(侵食による水系の変更)が起きたため、石垣を築いて防いだ
- 密樋の話は、当地が扇状地であり、伏流水(地下水)が豊富であることを示している
また、「出水里=泉村」という地名も、扇状地の末端で水が湧き出る様子に由来していると考えられます。現在も「小柳の清水」という湧水地があり、この地域が湧水帯であることがわかります。
祝田神社の祭神とその由来
当社の御祭神は、『播磨国風土記』に登場する 「石龍比古命」「石龍比売命」 の二柱とされています。
しかし、社殿の案内板ではこれらの神々が 「玉帯志比古大稲男神(たまおびしひこおおいなおのかみ)」「玉帯志比売豊稲女神(たまおびしひめとよいなめのかみ)」 に変更されており、次のような伝承が記されています。
「かつて里人が五穀の神として泉村の田に社殿を営んだのが当社の起源である」
この「玉帯志比古大稲男神」「玉帯志比売豊稲女神」は、『播磨国風土記』の美嚢郡(現・三木市)にあった 祝田社 に祀られていた神とされています。
しかし、播磨国風土記に記された美嚢郡の祝田社は、現在の三木市本町に鎮座する「大宮八幡宮」にあたり、当社とは無関係です。
一方で、「玉帯志比古大稲男神」「玉帯志比売豊稲女神」は 稲霊を祀る神 であり、伏流水による灌漑が行われた当地に祀られる神としては適しているとも考えられます。
式内社「祝田神社」の比定について
江戸時代の文献の多くは、式内社「祝田神社」を 姫路市林田町上構の「祝田神社」 に比定しています。
当社を式内社とする説は 『播磨鑑』 のみであり、その根拠は 「当社の森を『ホウダ(祝田)の森』と呼んでいた」 というものです。
一方で、姫路市林田町上構の「祝田神社」は、林田(はやしだ)という地名が 「祝田(ほうだ)」の転訛 であるとする説を持っています。しかし、『播磨国風土記』にも「林田」の名が見えることから、後世に変化したものではないと考えられ、論拠としては弱い部分もあります。
当社の鎮座地が古社のものとは言い難いため、どちらが本来の式内社「祝田神社」であったのか、明確な結論を出すのは難しいといえるでしょう。
まとめ
歴史などを調べてみると、特にお金にまつわる話は出てきませんが、湧水が出ることを考えると、お金が湧くにかけて、縁起の良い神社かもしれません